徳川家康と読書
江戸幕府初代の将軍であった徳川家康は、学問を重んじた読書家としても著名な人物です。
幕府が開かれる前年、慶長7年(1602)に、家康は江戸城富士見の亭に文庫を創設しました。三代将軍家光は、文庫の管理のために書物奉行を設け、その蔵書は「紅葉山文庫」と呼ばれて、現在、国立公文書館が管理しています。また、息子の秀忠に二代将軍を譲った後、慶長12年(1607)に家康は駿府城に入りますが、彼はここでも文庫を設け、その蔵書は駿河文庫と呼ばれています。生涯を通して、自らが書物を蒐集するのみならず、木活字・銅活字による出版の後押しもしています。
家康の天下人としての足取りを支えたものに、書物を通した学びがあったことは疑いないでしょう。長らく続いた戦国時代を乗り越え、250年に及ぶ太平の世の礎を築いた人物は、誰に学び、どのような書物を読む中で、天下を治める為政者としての姿勢を育ててきたのでしょうか。本講座では、家康が読んだ本を具体的に追いかけ、彼を支えた読書のあり方を探ってみたいと思います。
家康と日本の歴史
家康は、鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻鏡』の愛読者であったことが知られています。家康は、過去の歴史から何を学ぼうとしたのでしょうか。
家康が読んだ『平家物語」
現在、私たちが手にする『平家物語」は、覚一本と言われる南北朝時代の琵琶法師によって整えられた本文です。しかし、家康が読んだ『平家物語』は、それとは異なるものでした。家康は、『平家物語』に何を求めたのでしょうか。彼が読んだ『平家物語』から探ってみましょう。
家康と文庫
家康が蒐集した蔵書は、紅葉山文庫や駿河文庫の目録からある程度復元することができます。天下人を支えた学問と読書のあり方に迫ってみましょう。