『和泉式部日記』を楽しむ
ここでは和泉式部が書いた日記文学・『和泉式部日記』を読んでいきましょう。
和泉式部は歌人として、とても有名。
ところで、あの紫式部は和泉式部のプロフィールを書いてくれているのですよ。それは『紫式部日記』に出てきます。「和泉式部という人は、とってもステキな手紙をやりとりしていました。でも、彼女にはモラルに反した所があったのです」と書かれているのでした。そう、和泉式部は手紙名人、そして「道徳的」ではなかった、と紫式部は書いています。和泉式部は恋多き女性。それを紫式部は批判しているのですね。
でも、このような体験が人の気持ちを揺らすような言葉のきらめきを生み出していったのです。第一回目はこのような和泉式部と『和泉式部日記』の基礎知識をお話いたしますね。
■第一回目では「ステキな手紙をやりとり」といった紫式部の評価をご紹介いたします。二回目はこのステキな手紙、といったものが、どんなものであったか、説明いたしますね。電話もファックスもメールもLINEもない時代。唯一の伝達手段であった手紙。それはさまざまな危険性に囲まれていました。またさまざまな物語も生み出していたのです
そして『和泉式部日記』のなかには平安手紙のキラキラ光るエッセンスが書き込まれているのです。その手紙のやりとりを分析していきますね。
今にも通じる手紙の姿、それが二人の恋を支えていました。表現の奥に光る手紙の存在を読み取っていきましょう。
■また最後の三回目には『和泉式部日記』の性格を深堀りします。いったい何のためにこの日記文学作品が書かれたのか。そこにはどんな思いが零れ落ちているのでしょう。特にガラッと変わる日記の末尾が何のために描かれているのか。それまでの恋物語とは違う部分は、昔から他人が書いたという説が多いのです。
これは本当に他人が書いたのか、それとも……。
そのようなことをみなさまと考えながら、『和泉式部日記』の本質に迫りたいと思います。そして世界で最古の女性日記文学たちが残っている意味も考えていきましょうね。